#Episode
金鳥の渦巻
日本人の誇り、蚊取り線香。
大日本除虫菊株式会社
出発点は社名になった除虫菊のタネ。初代蚊取り線香はスティック状だった。
「野原で摘んできた除虫菊を部屋に飾ったところ、枯れた花の周りでたくさんの虫が死んでいたことから、この花の殺虫効果を研究するようになったそうです。そこで英一郎は早速、栽培を開始したんです」
上山英一郎氏の子孫で、同社の専務取締役である上山久史氏は語る。
その後、1888年から試作を開始。試行錯誤を重ねて世界初の蚊取り線香『金鳥香』が発売されたのは、それから約2年後のことだった。仏壇線香の製造法を利用したため形は同じ、長さ20cmの細い棒状で、燃焼時間は約40分と短かった。
「蚊には、昼間飛んでいるヤブ蚊と、夜から明け方近くになると出てくるイエ蚊の2種類がいます。昼間、縁側で使う分には40分間の燃焼でもいいのですが、就寝中は40分おきに起きるわけにもいかない。安全に燃焼時間を伸ばし、安眠できるようにするにはどうすればいいかと英一郎が悩んでいたところ、妻のゆきが『渦巻にしたら?』と言ったのです。とぐろを巻いた蛇を見てひらめいたアイデアでした」
後年、世界各地で作られることになる渦巻の蚊取り線香はこうして誕生した。海外の線香と違って日本の仏壇線香には手持ち棒がなく、全部燃え尽きるようにできていたことも渦巻の成形には都合がよかったのだという。
そこで考案したのが、2本の線香をまとめて巴状に巻くダブルコイル方式。乾燥すると2本の間にすき間ができ、そこから1本ずつ分離して使えるという画期的な方法だった。
また乾燥には、金網を使用した。これもゆき夫人の提案によるもので、魚の焼き網からヒントを得たという。発売は1902年。渦巻の着想から7年、棒状蚊取り線香の誕生から12年が経っていた。
大正、昭和と、除虫菊はその後も盛んに栽培されたが、第二次世界大戦の食糧増産のため栽培面積が著しく減少。代替原料の開発が急務となる。「戦後、除虫菊の花から抽出される殺虫成分『ピレトリン』の研究が急ピッチで進められた結果、これとよく似た化学構造をもつ『ピレスロイド』という物質を化学的に合成することに成功しました」
ピレスロイドは蚊への速効性は高いが、人間などの温血動物に対する毒性が低い。さらに自然界で分解しやすく、二次的環境汚染の怖れも少ないという理想的な物質だった。現在まで家庭用殺虫剤のほとんどに使われているのも、このピレスロイドだ。
この世になかったものを創り続ける。だから広告宣伝を重視する。
ジカ熱やデング熱、マラリアなどの感染症を媒介する蚊は地球上で人間を最も多く殺している生物だという。だが、そうした事実が判明したのは、この100年ほどのことだ。上山英一郎氏が蚊取り線香を発明した時、世界中で感染症予防に使われる日が来るとは想像もしていなかっただろう。
同社が日々研究しているのは、あくまでも人間のいる場所を快適にするための商品だ。環境や生活スタイルの変化と共に、そこに入り込んでくる虫も変わり、薬剤も変わる。時代が移り変われば、本来は日本国内に生息していなかった虫も増えていくだろう。「そうした中で困っている方がいる限り、病害虫から人間を守ることが我々の務め」だと話す上山氏。
130年もの間、私たちの“健康”や“安心”を陰で支え続けてきた蚊取り線香は、今後も弛まぬ努力と試行錯誤を繰り返しながら、どんな時代にも求められるロングセラーであり続けるに違いない。
#Episode金鳥の渦巻
INTERVIEW
INTERVIEW
大日本除虫菊株式会社 専務取締役 上山久史さん
1956年兵庫県生まれ。京都大学 経済学部 を卒業後、株式会社電通を経て、1989年 大日本除虫菊株式会社 に入社。1997年には、取締役に就任。翌年より、宣伝・広告担当役員として現在に至る。テレビCMや新聞広告など、数多くのユニークな広告を手掛けている。
http://www.kincho.co.jp/
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