#Episode
カップヌードル
世界的ファーストフード進化論
日清食品株式会社
試行錯誤を繰り返し、食習慣の壁を越えるために
そう話すのは、カップヌードルのブランドマネージャーを務める白澤勉さん。
しかし、チキンラーメンを持参して現地のスーパーを訪れた際、試食してもらおうにも箸や丼ぶりがない。その時、現地のバイヤーがチキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎフォークで食べ始めた。この光景がカップに入れてフォークで食べる即席麺、カップヌードル開発のヒントになったのだという。
「安藤百福は、チキンラーメンのおいしさに絶対の自信を持っていましたが、食習慣の壁を越えなければ世界で売れる商品にはならないことに気づきます。それが1966年のことでした」
そこから試行錯誤を重ね、発売に漕ぎ着けたのは約5年後の1971年9月のこと。カップが商品のパッケージとなり、お鍋の代わりの調理器にもなる。そして食べる時の食器にもなり、一つのカップが3役をこなす。まさに前代未聞。他にも数多くの工夫とアイデアが詰まった「知恵のかたまり」と呼ばれる世界初のカップ麺が登場したのだ。
1971年にはお湯が出る自動販売機を開発し、72年には全国で2万台も設置された。これは当時、コカコーラの自動販売機に次ぐ2番目に多い台数だったという。
またプロモーションにも力を注いだ。「日本にも必ずファーストフードの時代が来るに違いない」と、若者たちが集まっていた銀座の歩行者天国で試食販売をスタート。多いときには一日に2万食を完売し、最先端のファッションに身を包んだ若者たちがカップヌードルを立ったまま食べる様子は、大いに注目を集めたた。
「ちょうど同じ時期に、銀座ではマクドナルド1号店がオープンしました。アメリカから入ってきたファーストフードと日本で生まれたファーストフードは1971年に銀座で出会い、若者を中心にその価値を浸透させていったんです」
環境面や健康面に配慮するのは、ブランドの使命
つまり、今年の9月に発売49周年を迎えるカップヌードルを超える商品は、未だに出ていないということ。同社では、「カップヌードルをぶっつぶせ」をスローガンに、社内でもカップヌードルをライバルとして商品開発にしのぎを削っている。
これまでもカップヌードルらしさを保ちながら、様々な環境問題に配慮した変化を続けてきたカップヌードル。例えば、カップは発売当時から発泡スチロール製を使用していたが、2008年から紙製に変更。19年12月からは、使用している石化由来のプラスチックの一部を植物由来のものに置き換えた「バイオマスECOカップ」への切り替えを開始し、21年末までにはカップヌードルブランド全商品のカップの切り替えを完了する予定だ。
世界を代表する巨大ブランドとして果敢に社会課題に向き合う姿勢は、私たち日本人にとって大きな誇りでもある。これからもカップヌードルは、発売当初から変わることのない「美味しさ」を世界中に届けていくために、さらなる挑戦を続けていくことだろう。
#Episodeカップヌードル
INTERVIEW
INTERVIEW
日清食品株式会社
マーケティング部 第1グループ
日清食品株式会社
マーケティング部 第1グループ
ブランドマネージャー
白澤勉さん
1997年日清食品入社。営業部門、宣伝部、経営戦略部、海外出向などを経て、2015年よりマーケティング部に異動。2019年1月より現職。「カップヌードル」ブランド全体のマネージメントを行う。
https://www.nissin.com/jp/
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。